理論史

理論史
ブラックホールの理論的可能性については、ニュートン力学の時代に先駆的な着想があった。1796年にフランスの政治家・数学者ラプラスは、アイザック・ニュートンの万有引力の理論を極限まで推し進めて、「物質が十分に集積すれば、その重力は光の速度でも抜け出せないほどになるに違いない」と予測した。また1784年にイギリスのジョン・ミッチェルも同様の論文を発表している。

現代的なブラックホール理論は、アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論が発表された直後の1916年に、理論の骨子であるアインシュタイン方程式をカール・シュヴァルツシルトが特殊解として導いたことから始まった。シュヴァルツシルト解は、時空が球対称で自転せず、さらに真空であるという最も単純な仮定で一般相対性理論の厳密解を導くことで得られた。シュヴァルツシルト解には、原点の特異性と、シュヴァルツシルト半径における特異性がある。座標の取り方で後者の特異性は除去されることが後に分かったが、原点の特異点は物理的に残される。これがブラックホールであると認識されるようになったのは、1960年代のことである。

1930年代末、ロバート・オッペンハイマーは、当時の物理学界を賑わせていた中性子星存在の議論の中で、恒星が崩壊してできる中性子星の質量には上限があり、超新星爆発の後に形成される中性子の核の質量がその上限よりも重い場合、中性子星の段階にとどまることなくさらに崩壊するであろう、と、重力崩壊現象を予言した。しかし、オッペンハイマーはここまで研究を進めたところで、原子爆弾開発を目的とするマンハッタン計画に参画することとなり、彼はロスアラモス研究所の所長に任命された。それ以来、彼のブラックホール研究は途絶えたものと思われる。

1963年、ロイ・カーが軸の周りに一定の角速度で回転するブラックホールについての厳密解を導いた。カー解は、ブラックホール唯一性定理により、軸対称定常・真空かつ無限遠平坦という仮定のもとでのアインシュタイン方程式のただ一つの解であることが示されており、ブラックホール脱毛定理(無毛定理)の描像とあわせて、物理的に形成されるブラックホールの最終段階と考えられている。1973年に京都大学の冨松彰と佐藤文隆が発見したトミマツ・サトウ解はカー解を歪めたもので裸の特異点が存在する。そのため、物理的には生じないと考えられている。

なお、ブラックホールという名前は、ジョン・アーチボルト・ホイーラーが1967年に命名した。それまでは、コラプサー(崩壊した星)などと呼ばれていた。